ギザギザハートで診療中

うつ病になって少し落ち着きつつある医療関係者の日記

道ならずの恋

私は現在医局からのアルバイト掛け持ち?で週5日勤務、4つの病院で働いている。

医療関係以外の方はご存知ないかもしれないが、医師は大体若手であれば医局という都道府県の大学病院が管理する人材派遣会社兼研究教育機関?に所属する。

若手の定義は難しく、一般的には卒後10年目まではペーペー、ストレートで卒業し20年近く、40半ばになってようやく開業独立となる(勝手な認識)ようなのでそれまではその医局に所属する人が多い。

特に地方だと医局の権力が強く、医局に入らなければ経験を積む時期である若手が症例の豊富な大きな病院
等に入れないため大多数が初期臨床研修(卒後2年間)が終わったのちに医局に入る。

私も医局に所属し、医師3年目にうつで休職して退職したのちは医局の斡旋するアルバイトで4年間過ごしていた。
大学病院、田舎の救急病院、療養病院など。

うつになって後期研修の病院を退職し、最初の半年は週2日勤務、そこから大丈夫だろうと週5日に一気に増やしたらまた悪化して寝込むようになった。

1年でうつが治ると思っていた私は浅はかだった。
学生時代からうつっぽい症状があり薬も飲んでいたので、かなり慢性化しており症状がかなりとれるまで計2-3年は要したように思う。(その間良くなったり悪くなったり繰り返して)

その間はメンタル的には終わりの見えない地獄のような日々で、3年掛けてようやく少しずつ勤務を増やして週5日ほぼ9時から17時働いても精神状態が悪化しないまでになった(つもり)。1度悪化したことでまた悪くならないか強い不安に駆られ、結局フルタイムまでは挑戦できずアルバイトのまま年1日くらい勤務日を少しずつ増やす方向へシフトした。

しかしどれくらいしたらこの地獄が終わるのか、先が見えない不安が何度もやってきた。
うつの症状として、先の見えない不安をより強く感じ焦るものであるが、まさに筆舌に尽くし難い経験であった。

針のムシロのような気持ちで職場に向かい、当時の婚約相手にもたくさん迷惑をかけたと思う。


その後に家族のゴタゴタ、家族の裁判、脅迫まがいの行動、結婚、子どもが出来るなどかなりイベントが豊富で4年前が遠い昔のようだが意外に最近のことであると2016年欅坂46サイレントマジョリティーを聴きながら思いだした。

人間でも悲しいかな忘れるのよ、どんなに辛い悲しい苦しい時期も喉元過ぎれば忘れる。

4月から新しい場所で新しい仕事です。

話は逸れて今は性欲が枯れているはずだが、職場の綺麗な人に恋をする環境でもないので子どもと戯れ医局長(医局の偉い人)にイタ電されてもよしよしして過ごしております。
※フィクションを含みます、ほぼフィクションと思ってください